オステオパシー概要(歴史、語源、定義)

こちらではオステオパシーの歴史等をお話します。

オステオパシーの語源なども踏まえ、どういった成り立ちで今日まで受け継がれてきたか、そういったことを知っていただくことでオステオパシーの魅力を知っていただければ幸いです。

■歴史

オステオパシー最初の大学

オステオパシー(osteopathy)とは、1874年にA.T.スティルというアメリカ人医師によって創始された自然医学です。

スティル博士は評判の良い田舎のお医者さんでした。産婦人科氏であり外科医でもありました。1864年、当時アメリカの南部で流行していた髄膜炎によりたくさんの方が亡くなり、自身も3人の子供を亡くすという悲劇を経験しました。どうしてこんなことが自分の身に起こったのだろうと思い、また当時の手厚い看護と医療を受けたにも関わらず助からない人々がいる一方で、医療や看護を受けることもままならない人々が回復していく事実に疑問を抱き、人体に対する独自の研究を始めていきます。自然科学をはじめ解剖学、生理学、病理学、そして伝統的なインディアンの医学など広範囲の科学を徹底的に学び直し、人体を人間をあらゆる角度から研究しました。

そこでスティル博士が少しずつ分かってきたことは、今までの医学とは違う考え方でした。つまり対処療法が現代の医学だとしたら、博士が着目したのは「なぜその症状が現れたのか」という点でした。

そして約10年後の1874年6月22日にスティル博士は世にオステオパシーを発表しました。

その時以下の4つの考え方を提唱しました。

①身体全体を診る必要がある。(つまり何が原因で病が起こるのか、そして何が原因で全体性が治るのか。相互関係の重要性)

②身体は一つのユニットである。(身体の中の全てのものは繋がっている)

③血管、リンパ系の重要性。(全ての血液はいかなる時も、全ての部分から部分、全ての器官から器官へと流れていなければならない)

④身体は自動調整システムを有している。(すなわち身体は自然と戻ろうとしている、バランスをとろうとしているということ)

スティル博士の言葉

オステオパスは症状を扱うのではなく、原因を扱わなければならない。症状は原因が調整されれば消失する

問題を探して治療しなさい。そうすればあとは身体がやってくれる

しかし、この考え方は当時の医学界からは強い抵抗に合い、受け入れられる事はありませんでした。それでもスティル博士は自分の信念を貫き通し、全米をこのオステオパシーにより治療して周りました。当時の記録には、筋骨格系の症状のみならず伝染病や内臓疾患にも驚くほどの効果があったと記されています。

1892年にはカークスビルに最初のオステオパシーの学校(American School of Osteopathy)が設立され、現在も“A.T.STILL UNIVERSITY”として存在しています。また現在オステオパシーはアメリカでは医学として公認されており医師として手術や投薬など全ての医療行為が許されています。

今ではアメリカに29校のオステオパシー医科大学が設立され、ヨーロッパ諸国やロシアやカナダ、オーストラリア等多くの国々においても、オステオパシーの教育や研究が盛んに行われ現在も発展し続けています。国家医療資格として認められている国も数多く存在し、多くの国々で普及され広まりを見せています。

■オステオパシーの語源

ATS

その語源はギリシャ語の「骨」を意味するosteon(オステオン)と「病」を意味するpathos(パソス)からなる造語です。

このosteonとは、単に「骨」という意味だけではなく「生命体の構造」という意味を持っており、生きているものでなければosteonとは言いません。

つまりオステオパシーとはpathosの「病気、療法」という言葉を合わせ、「生命体の構造に対する療法」ということを意味しています。

「生命体の構造」というのは「骨」「筋肉」「内臓」「神経」「血管」など治療に関する全身の対象器官を指していますが、その中でも「骨の特性」を生かした治療法が多いことから「骨の性質を利用した療法」とも捉えることができます。これも単に骨に対する療法だけに留まらず、骨の性質を生かし、全身的に影響を波及しながら施術を行っています。

■オステオパシーの定義

「オステオパシーは人体の各部位の構造、機能及び人体を構成する部品同士の関係に関する知識であり、人体が調和して働くことを妨げる全てのものに対し、調整及び矯正を行うために用いられる。」